“The B”

The Story of TRADROCK

Written by Hiroshi Otomo / Spring 2010

 あらためて書くまでもないことだとは思うが、ポール・マッカートニーは左利きだ。そして彼は、弦を張り替えて、つまり低音弦が親指側にくるようにしてギターやベースを弾く。ジミ・ヘンドリックスと同じである(ブルースの世界などでは、弦を張り替えず、高音弦が親指側にくる形でそのまま弾いてしまう左利きギタリストがほとんど。最近の例でいうと、クラプトンの片腕的存在になっているドイル・ブラムホールIIもそう)。

 想像してほしい。50年以上前のリヴァプールで、ポールとジョン・レノンが向かいあって座り、ギターを弾いていた姿を。ギターのヘッドは同じほうを向いている。6本の弦の構成も同じ。ポールが「こんなコードはどう?」といったら、ジョンは彼の右手のフォーム見たままに真似ればいい。逆も然り。鏡に向かってギターを弾いている。まるでそんな印象だったかもしれない。

 それは、ビートルズをめぐる伝説や神話のなかでも、もっとも美しいエピソード/イメージのひとつといえるだろう。向かいあって座り、ギターを弾くジョンとポール。ビートルズの歴史はそこからスタートしたのだ。

 1950年代の後半、十代の少年同士として知りあったジョン・レノンとポール・マッカートニーは、お互いにその才能を認めあい、そして、漠然とした形ながらなにかとてつもなく大きな可能性を感じ取り、ソングライティング・ティームとして歩みはじめた。すでにその時点で、どのような形で仕上げられた曲であれ、二人の作品はレノン/マッカートニーとクレジットするということも決めていたらしい。

 実際、二人は、ギターを抱えたまま向かいあって座り、どちらかが得たアイディアをふくらませるようにして曲を仕上げていった。最初から二人で書き上げた曲も、もちろんあっただろう。初期の作品からは、正式なコード・ネームもわからぬまま、「この響き、いいね」などと話しながら斬新で個性的なハーモニーを編み出し、曲を仕上げていく、その興奮や喜びのようなものがリアルに伝わってくる。

 しかし、いったん成功を収めてしまうと、しかもその成功があまりにも大きなものであったため、ジョンとポールが一緒に時間を過ごすことは次第に少なくなり(当然の成り行きとして、移動もホテルの部屋も別々となった)、結果的に、二人がギターを抱えたまま向かいあって座るということもなくなっていった。

 ほぼ時を同じくして、二人はクリエイターとしての方向性の違いといったものを強く意識するようになり、レノン/マッカートニーというクレジットは守りながらも、基本的には、それぞれの作品を持ち寄ってアルバムを仕上げていくというスタイルに変化していったのだ。

 もちろん、ボブ・ディランという強烈な存在がそこに影を落としていたという事実も見逃せない。あるいは、ローリング・ストーンズやビーチ・ボーイズといったライバルの存在。アメリカからは、ヒッピーやフラワー・ムーヴメントの波も押し寄せてきた。レコーディング技術や楽器/エフェクト類の飛躍的な進歩を真正面から受け止めながら、そうしたダイナミックな時代を一歩リードする形でビートルズは名曲、名作をつくりつづけ、そして、70年代の幕開けと同時に、その役目を終えたのだった。

 いずれにしても、ビートルズは、その存在そのものがある種の奇跡だったのだと思う。この『TRADROCK “The B” by Char』では、その彼らが、ギターを武器に大きな一歩を踏み出した時期の名曲が取り上げられている。

 ギターがあればなにかができると確信していたジョンとポール。二人にはかなわないと感じ、嫉妬に近い気持ちを抱きながらも、なんとか自分らしさを打ち出そうとしていたジョージ。独特のリズム感覚と穏やかな人柄で融和剤のような役割もはたしていたリンゴ。そして、4人を暖かく見守り、時には厳しい注文もつけたジョージ・マーティン。彼らのあいだから発生した奇跡的なケミストリーが20世紀を代表する名曲へと昇華していく、そのスリリングな感触が、ギターを視点の中心に置いたアプローチで鮮やかに描かれている。ここでは、そのオリジナルを、発表順、作品別に紹介したいと思う。

A HARD DAYS NIGHT

 「I WANT TO HOLD YOUR HAND / 抱きしめたい」が全米ナンバー・ワンを記録したのは1964年2月1日のこと。一週間後、はじめて大西洋を渡り(細かいことにこだわるようだが、ジョージは少年時代にアメリカを訪れていたという)、ジョン・F・ケネディ空港に降り立った彼らを数千人のファンが出迎えた。いわゆるビートルマニアが世界的な規模で爆発したのだ。

 エド・サリヴァン・ショーでのライヴ・パフォーマンスなどによって強烈な印象を与えた彼らは、帰国後、初主演映画の撮影に入っている。ビートルマニアそのものをテーマにした『A HARD DAYS NIGHT / ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』だ。書いているだけで恥ずかしくなってしまうような邦題が、当時の彼らがどういった存在として受け止められていたかを明確に示していると思う。

 「ア・ハード・デイズ・ナイト」は、いうまでもなく、そのテーマ曲で、8月1日から2週連続全米1位を記録している。ソングライティングとヴォーカルでリーダーシップを握っているのは、ジョン・レノン。いろいろな意味で、初期ビートルズを代表する名曲のひとつといっていいだろう。

I FEEL FINE

 1964年8月、映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』の全米公開にタイミングをあわせて再渡米した彼らは、20都市以上を回る本格的なツアーも行なっている(この時、ボブ・ディランがビートルズのメンバーをホテルに訪ね、マリファナを勧めたという)。

 ヒットの規模は爆発的に拡大していき、同年12月から66年1月にかけては6枚のシングルを連続して全米ナンバー・ワンに送り込むという偉業を達成しているのだが、その皮切りとして全米チャートの頂点まで駆け上ったのが「アイ・フィール・ファイン」だった。

 ジョン・レノンが、ある日ふと思い浮かんだリフのイメージを大切にしながら書き上げた曲だという。リード・ヴォーカルもジョン。ベースのフィードバックで印象的な幕開けを演出したポール。リズム&ブルースからの影響を感じさせるプレイで独特のリズムを築き上げたリンゴ。絶妙なバランスでパートを分担していくジョンとジョージ。4人の力が美しく溶けあい、ひとつのドラマを生み出している。

HELP
TICKET TO RIDE

 1965年2月、ビートルズ主演映画第二弾『ヘルプ! 4人はアイドル』の撮影がバハマでスタートした。前年夏のアメリカでの体験をポジティヴに受け止める形で、4人はすでに内面的な変化を遂げようとしていたが、撮影ではリチャード・レスター監督の指示に従い、ともかく「世界のアイドル」としての彼らを演じたという。

 「ヘルプ!」と「チケット・トゥ・ライド/涙の乗車券」は同年夏に公開された『ヘルプ!』のサウンドトラックの中心に据えられていた曲で、前者が9月4日、後者が5月22日に全米ナンバー・ワンを記録している。どちらもジョン・レノンが中心になって書かれた曲であり、音楽的には完全に初期ビートルズの流れを汲むものだが、「ヘルプ!」での彼は、アイドル主演映画のテーマ曲という制約はぎりぎりのところで守りながら、男の子と女の子の出会いや恋愛といった次元を超えたなにかを表現することに成功している。それは、「内面苦悩」とでも呼べるもの。時代は、いよいよ、大きく変わろうとしていたのだ。

TAXMAN
AND YOUR BIRD CAN SING
TOMORROW NEVER KNOWS

 ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人が『ヘルプ!』の撮影を終えようとしていたころ、ザ・バーズ版の「ミスター・タンブリン・マン」が全米ナンバー・ワンを記録している。ボブ・ディランが「ライク・ア・ローリング・ストーン」を発表したのは65年7月。8月にはチャートインをはたし、最終的には全米2位まで上昇した。その少し前には、ヘヴィなリフをもとに書かれたローリング・ストーンズの「サティスファクション」が全米ナンバー・ワンを記録している。

 ロックという文化が大きな変革を遂げようとしていたこの年の暮れ、ビートルズは『ラバー・ソウル』を発表し、確実な成長と進歩のあとを示した。シタールをフィーチュアした「ノルウェーの森」や「ひとりぼっちのあいつ」、「ミッシェル」、「イン・マイ・ライフ」といった名曲が収められたこのアルバムはビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンに計りしれないほど強い刺激を与え、彼を『ペット・サウンズ』の制作に向かわせたともいわれている。そしてその歴史的名盤が、結果的に、ビートルズをさらに前進することとなったのだ。翌66年6月30日から7月2日にかけて最初で最後の日本公演が武道館で行なわれているのだが、その直前に、彼らはアルバム『リヴォルヴァー』を完成させていた。

 「タックスマン」、「アンド・ユア・バーズ・キャン・シング」、「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」の3曲は、その『リヴォルヴァー』に収められていたもの。オープニングを飾る「タックスマン」は、ジョージ・ハリスンの作品だ。この曲を含めてジョージの作品は『リヴォルヴァー』に3つも収められているのだが、それまではどうしてもレノン/マッカートニーの影に隠れがちだった彼がいよいよ本格的にその存在感を発揮しはじめたといえるだろう。

 「アンド・ユア・バーズ・キャン・シング」と「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」はどちらもジョン・レノンの作品。「ラヴ・ミー・ドゥー」でデビューをはたしてからわずか数年。ものすごいスピードで成長を重ねてきた彼らのパワーと卓越したセンス、先見性を明確に物語る作品といえるだろう。

 とりわけテープの逆回転を効果的に使った「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」はサイケデリック・ロックの時代の幕開けを告げるものであり、このあとビートルズはあの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』や『マジカル・ミステリー・ツアー』へと進んでいくことになるのだ。

2010年春 大友博