“Jeff”

The Story of TRADROCK

Written by Hiroshi Otomo / Spring 2010

 「目は口ほどにものをいう」という諺は、江戸時代の川柳から生まれたものだという。口説きをテーマにしたちょっと色っぽい川柳なのだが、出所はともかくとして、いい言葉である。

 ジェフ・ベックが2000年に発表したアルバム『ユー・ハッド・イット・カミング』のジャケットをはじめて目にした時、なぜか唐突に、その「目は口ほどにものをいう」が頭のなかに浮かんできた。正確にいうと、江戸時代の川柳を原典とするその諺を少しひねって、「手は口ほどにものをいう」というフレーズを思いついたのだった。

 『ユー・ハッド・イット・カミング』のジャケットは、強烈だ。観る者に強く訴えかけてくるインパクトにあふれている。写されているのは、ジェフの二つの手。大好きなホットロッドのエンジン周りやギアをいじったあとなのだろうか。右の手も左の手もオイルにまみれ、鈍い光を放っている。

 ジェフ・ベックは、めったにインタビューを受けない。ステージでも、あまりしゃべらない。メンバー紹介すらしないこともある。基本的には、自分で歌うこともない。あまりに表面的にすぎるいい方かもしれないが、ロックというフィールドに身を置きながら、彼はギターが奏でる音だけですべてを表現してきたわけだ。その自信と誇りが、『ユー・ハッド・イット・カミング』のジャケット写真から伝わってくる。「私はこの手でギターを弾きつづけ、新しい地平を切り開いてきた。でも、それだけが私のすべてじゃない」。接写したオイルまみれの両手を主人公にしたセピア調のジャケットは、そう語りかけてくるような気がした。言葉はいらない。「手は口ほどにものをいう」である。

 数年前から、ジェフ・ベックの来日時、公演プログムなどの制作に関わってきた。その仕事の一貫で、オフィシャル・バイオグラフィの翻訳を何度か担当しているのだが、それらを参考にあらためて紹介しておくと、ジェフ・ベックは、1944年6月24日、ロンドン特別区サットンのウォーリントンで生まれ、その街で幼少年期を過ごしている。母親がピアノ好きだったこともあり、家のラジオからはダンスものからクラシックまで、いつもさまざまなタイプの音楽が流れていた。かなり早い時期からジャズにも触れていたという。

 幼いころから音楽に囲まれて育ったジェフ・ベックが自らギターを手に取るのは、時間の問題だった。アート・カレッジに進んだものの、すぐに退学。音楽に専念することを決めた彼は、しばらくセッション・プレイヤーとして経験を積み、スクリーミング・ロード・サッチやトライデンツと働いたあと、65年、よく知られているとおり、エリック・クラプトンの後任としてヤードバーズのリード・ギタリストの座に就いたのだった。

 以来、ジェフ・ベックはあの二つの手で(もちろん、全身を駆使して)ギターを弾きつづけ、エレクトリック・ギターの可能性、表現領域を、誰よりも意欲的に、貪欲に拡大させてきた。オフィシャル・バイオによれば何度か真剣に引退を考えたそうだが(つまり、すべての時間をホットロッドのために費やすということだろうか)、この10年あまりは、あらためて精力的な活動を展開している。そのあたりを、少し整理しておこう。

 1999年から03年にかけて、ベックは『フー・エルス!』、『ユー・ハッド・イット・カミング』、『ジェフ』と、プロジェクト的/実験的要素の強い作品をたてつづけに発表し、健在ぶりを示した。とりわけアポロ440らと組んだ『ジェフ』はかなり尖った内容の作品であり、そちらの方向に進んでいくのかとも思われたが、04年のクロスロード・ギター・フェスへの参加を契機に彼は熱心にライヴに取り組んできた。

 07年には、まだ二十歳になったばかりだったタル・ウィルケンフェルドをベース迎え、第2回クロスロード・フェスで圧巻のステージを披露。同年暮れの、クラプトンらをゲストに迎えたロンドンでのライヴを作品化し、09年の来日公演ではEC/JBの「奇跡の競演」を実現させた。そして、昨年秋のR&Rホール・オブ・フェイム25周年記念コンサートではスティングらと共演して強烈な存在感を示し、通算5回目となるロック部門インストゥルメンタル賞獲得をはたした今年のグラミー授賞式では敬愛する故レス・ポールに捧げたライヴも披露している。

 つづいて、トレヴァー・ホーンとスティーヴ・リプソンをプロデューサーに迎えて録音したアルバムで、ストリングスや実力派女性シンガーを大胆にフィーチュアした『エモーション・アンド・コモーション』を『ジェフ』以来7年ぶりの新作として完成させると、ナラダ・マイケル・ウォルデンとロンダ・スミスを迎えた新編成でツアーを開始。4月12日の東京公演を観ることができたが、プリンスのバンドで経験を積んできたロンダのファンキーなベースとナラダのパワフルなドラムスを生かし、またまた、これまでとは異なる味わいのライヴを堪能させてくれた。本稿執筆時点から数えるとあとほんの2月ほどで66歳になるというのに、ベックはこれからもまだまだ、その先にあるものを目指していくことになりそうだ。

 この作品『TRADROCK “Jeff” by Char』では、間もなく50年に及ぼうとしているジェフ・ベックの音楽家としての歩みのなかから、1971年から73年までの数年間がクロースアップされている。具体的にいうと、第二期ジェフ・ベック・グループからベック・ボガート&アピスまで。結果的にそうなったのかもしれないが、とても興味深い掘り下げ方ではないだろうか。

 67年にヤードバーズを脱退したベックは、しばらく試行錯誤をつづけたあと、ロッド・スチュワートやロニー・ウッドらを起用したバンドで『トゥルース』と『ベック・オラ』を発表している。アルバム名義は「ジェフ・ベック」となっているが、この第一期ジェフ・ベック・グループでの活動によって高い評価を獲得した彼は、その後、ツアーなどで知りあったヴァニラ・ファッジのメンバー、カーマイン・アビスとティム・ボガートとのバンド結成を模索した。

 アメリカン・ロック界を代表するパワフルなリズム・セクションとともに、クリームやエクスペリエンスとは一線を画す「ジェフ・ベックのパワー・トリオ」を目指したということなのだろう。しかし、ベックが交通事故で重傷を負ったことから、この計画は頓挫。アピスとボガートは新バンド、カクタスの結成に向かってしまったのだった。

 交通事故から立ち直ったベックは、アピス/ボガートとのバンド結成は断念し、のちに『ブロウ・バイ・ブロウ』や『ワイアード』にも大きく貢献するイギリス人キーボーディスト、マックス・ミドルトンらと第二期ジェフ・ベック・グループをスタートさせたのだった。

 『ラフ・アンド・レディ』と『ジェフ・ベック・グループ』の2作品での彼らは、いち早くソウル・ジャズ、フュージョン的な方向性を打ち出しているのだが、アピス/ボガートのカクタス脱退を受けて、いよいよベック・ボガート&アピスをスタートさせている。しかし、そうまでしてこだわったアピス/ボガートとのパワー・トリオもスタジオ盤1枚と日本のみ発売のライヴ盤を残しただけで分裂。その後、ジョージ・マーティンをプロデューサーに迎えて録音した『ブロウ・バイ・ブロウ』でロック・インストゥルメンタルという手法を確立したわけである。

 70年代初頭の数年間は、いってみれば、意欲的に、貪欲に新しい地平を切り開きながら、やりたいと思うことはきっちりやるという姿勢をベックがきわめて強く打ち出していた時期といえるだろう。以下、その興味深い時期に残されたそれらの曲のオリジナル情報を、アルバムごとに紹介しておこう。

・TONIGHT I’LL BE STAYING HERE WITH YOU
(今宵は君と)
・GLAD ALL OVER
・GOING DOWN
・I CAN’T GIVE BACK THE LOVE I FEEL FOR YOU
(帰らぬ愛)
・I GOTTA HAVE A SONG

 5曲がピックアップされている『ジェフ・ベック・グループ』は72年に発表された第二期JBGのセカンド・アルバム。ブッカー・T&ザMG’Sのメンバーとしての活動で知られ、あの「ドック・オブ・ザ・ベイ」の共作者でもあった名ギタリスト、スティーヴ・クロッパーにプロデュースを任せたこの作品は、オリジナル曲が少なく、その点に少し物足りなさを感じることもあったが、結果的にロック/ポップの名曲集的な仕上がりになっている。

 この5曲も例外ではなく、参考のために原典というか、『TRADROCK “Jeff” by Char』からみると、オリジナルのオリジナルということになる作品を簡単に紹介しておこう。まず「今宵は君と」はボブ・ディランの作品。原曲は69年発表の『ナッシュヴィル・スカイライン』に収められている。「グラッド・オール・オーヴァー」は、ベックが強い影響を受けたギタリストのひとり、カール・パーキンスが50年代後期に残したヴァージョンで知られる曲。「ゴーイング・ダウン」はフレディ・キングが71年にシェルター・レーベルに残したアルバムに収められていた曲。「帰らぬ愛」はアシュフォード&シンプソンの作品で、ダイアナ・ロスが71年発表のソロ第三弾『サレンダー』に収めていた曲。そして「アイ・ガッタ・ハヴ・ア・ソング」はスティーヴィー・ワンダーがはじめてプロデューサーとしての才能も発揮した70年のアルバム『涙をとどけて/SIGNED, SEALED, DELIVERED I’M YOURS』収録の自作曲。といった具合だ。

 04年、テキサス州ダラスで開催されたクロスロード・ギター・フェスティバルにクラプトンはケイルを招き、本格的な共演を実現。それがきっかけとなり、06年には共同名義のアルバム『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』を発表し、グラミー賞も獲得している。

 第二期JBGを本格始動させる前、ジェフ・ベックはドラムスのコージー・パウエルとともにモータウンのスタジオを訪ね、ジェイムス・ジェマーソンらとセッションを行なっていた。そういったエピソードがリアルに浮かび上がってくるような選曲だ。

 もうひとつ注目しておきたいのは、「ゴーイング・ダウン」。現在もしばしばジェフ・ベックのライヴで取り上げられるこの曲は、レオン・ラッセルの人脈に属していたプロデューサー/シンガー・ソングライター、ドン・ニックスの作品。テネシー州の出身で、いわゆるスワンプ・ミュージックの世界を代表するアーティストのひとりだった彼は、その後、ベックの創作活動と深く関わることになる。

BLACK CAT MOAN / 黒猫の叫び
SUPERSTITION / 迷信

 BBA唯一のスタジオ録音作品で、73年に発表された『ベック・ボガート&アピス』でプロデュースを担当したのは、前述のドン・ニックス。オープニングを飾っていた「黒猫の叫び」はニックスの作品であり、彼はさらに「スウィート・スウィート・サレンダー」も提供していた。「迷信」はふたたびスティーヴィー・ワンダーの作品に挑戦したもの。いわゆるカヴァーだが、もともとこの曲は、スティーヴィーがベックのために書き下ろしたものの、周囲の勧めもあって彼が先に録音してしまったものだ。2年後に生まれる名曲「哀しみの恋人たち」は、「ごめんね」という気持ちを込めてスティーヴィーがベックに贈ったものだといわれている。

SITUATION

 71年に発表された第二期JBGのファースト・アルバム『ラフ・アンド・レディ』(間に合わせの、といった意味の皮肉なタイトル)では、ベックはオリジナル曲にこだわっていて、これも、歌詞も含めて、彼自身が書いたもの。パワフルなリフが印象的なイントロから、ちょっと性急な感じのエンディングまで、すべてのメンバーが全力を出しきった名曲だ。

2010年春 大友博